樗の日々

28歳のわたしを綴る。

愛していた?

 

大学院生時代に、好きな人がいた。

 

彼のことを時々考える、それほど昔の話でもないのにその時の気持ちはとても穏やかで、晴れ渡る冬の日に顔も知らない先祖の墓参りをする時の気持ちにそれはとてもよく似ている。

 

一つ年下の、背が低く無口な男の子だった。特別格好いいわけではないけれど、整った顔立ちをしていた。服や髪型の流行に興味がなく、特別洗練されているわけでも特別時代遅れなわけでもなかった。いや、どちらかというと後者に近かったかもしれない。けれど、理系の大学院生なんてみんな似たり寄ったりだ。そこにどれほどの価値もない。

 

思い出の中で、彼はいつも大きなマフラーに口元を埋めている。声をかけると、少し斜視気味の目をゆるりと上げて、けれど顔は上げずに、もごもごと答える。

喋り方が好きだった。そのことに気づいたのは、たぶん、彼と会わなくなってからずっと後のことだ。彼は喋る時間よりも喋るために考える時間をたっぷりと使った。どれほど周りが騒がしくても、彼が一緒になって騒ぐことはほとんどなかった。彼は自分のために喋り、自分のために笑った。

私に興味がないところも好きだった。そのことに気づいたのは、もう少し前のことだった。もともと他人への関心が薄い彼の意識の中には恒常的に私がいなかった。だからこそ安心して好きになれたのかもしれない。

最初から哀しい恋だったのだ、と思う。

 

自分が誰かを恋うていることを他の誰かに知られることは、ほとんど、恐怖、だった。だから私は自分の気持ちを押し隠した、自分からさえも押し隠した、自分の気持ちを裏返して自分自身で嘲り笑い飛ばすことで、私は「私」を「私」からすら守ろうとした。もしかしたら周りの誰かは気がついていたかもしれない、けれど私は彼のことが本当に好きだということに随分長い間気がつかなかった。

 

彼の数少ない親友であり私の学友であった男の子と二人で飲んだ真夜中、それなりに飲んだにも関わらず二人とも素面に近い状態で、好きだと言われた時、とっさに誤魔化した私の頭の中には彼の顔が浮かんでいた。

その時初めて私は彼のことが好きだと気づいた。

卒業を3ヵ月後に控えた冬のことだった。雪が積もっていた。木の生い茂った夜の大学の構内を通り抜けて帰る道中、私はひっそりとした絶望に浸されていた。思えば私はその絶望に酔っていたのかもしれない。その絶望は、どこにもいけないという安堵を連れてきた。だから私は安心して絶望を味わった。

 

それから私たちはどうにもならなかった。

卒業し、就職して、しばらくは三人で顔を合わせ、時には旅行に行ったりもしたけれど、私たちはどうにもならなかった。おそらく私だけが動く権利と動機を持っていたのだろうと思う。けれど卑怯な私は動かなかった。動けなかった、と言っても、怒られないだろう。彼とも学友とも友人である道をのろのろと歩いていて、そうしているうちに彼には恋人ができた。玉砕覚悟で告白しようと決心した夜の飲み会で、彼が来る前に全然別の友人からその話を聞いた。

 

ショックではなかったと言えば嘘になる。

けれど、自分の気持ちを自分にすら誤魔化すことに慣れていた自分は、その後遅れて合流した彼を笑って迎えた。彼女との馴れ初めから、同棲しようとしている話まで、率先して聞き出した。

 

その後、深夜1時頃に解散してから、酔いに任せて彼に電話した。たぶん、彼に恋人ができていなかったらできなかっただろうと思う。もうどうにもならないとわかっていて、わかっているからこそ電話した。

彼は出なかった。翌朝、どうしたの、という連絡もなかった。その次に会った時も、その電話の理由は訊かれなかった。私も何も言わなかった。深夜の電話は二人だけの間で密葬された。私と彼の間に、私と彼の間のどこかの空間に存在するかもしれない愛に関する言葉は何一つ交わされなかった。

 

彼のことを愛していたのか、と訊かれると、分からない。

そもそも愛とは何か、正直私には分からない。

今まで誰かを愛したことがあるのかすら分からない。

正直、学友に告白されて、それから彼を好きになったのではないか、と思ったこともある。学友の想いを断る口実に、彼のことを好きだと思い込んだのではないか(別に学友がしこたまひどい男だったわけでもないが)。自分に言い訳をつくりがちな私は、情けないことにそうでないとも言い切れない。そんなことを考えていると、彼への想いが本当にあったのか、それすら自信がなくなって来る。

けれど、最後まで何一つ交わせなかった結末は、きっと一生私の中に残るだろう。彼に何も言わずに卒業してしまった後悔と、何も言えない間に彼が誰かの手を取ってしまった衝撃も。社会人になってから拵えた深い切り傷のように、かさぶたになり、かさぶたが剥がれても、それはおそらく私という存在に沈着していつまでも残るのだ。

 

そういった意味で、私は彼を愛していた、と言ってもいいのかもしれない。

むしろ、言っておいたほうがいいのかもしれない。この先誰にも心惹かれなかった時のために、私にもこんな時代があったのだと、多少美化しながら、愛という言葉をそっとしまっておいてもいいのかもしれない。

歪だけれど確かにあったものとして。彼にはほんの少し犠牲者になってもらって。

 

 

学生時代に好きな人がいた。

 

彼とは今でも時々酒を酌み交わす、彼を焦がれた日々はそれほど昔の話でもないのにその時の気持ちはとても穏やかで、もういない飼い犬が写るアルバムをめくる時の心とそれはとてもよく似ている。

愛していた?と問う今より少し若い私の声は、もう随分と長い間答えを得ていない。