樗の日々

28歳のわたしを綴る。

はじめに

28歳になった。

 

27歳も半分を過ぎた頃、「28歳になってしまう」という妙な焦りがくすぶり始めた。

私の中に、「成人」や「還暦」といった多くの人たちが共有する節目とは別の、ごく個人的な境界があるようで、28という数字はどうやらそれにあたっていた。28歳になって「しまう」。それは、何かを喪失する予感にも似ていた。でもそれが何か分からなかった。若さかもしれないし、勢いかもしれない。お肌のハリかもしれないし、存在価値かもしれないし、友人かもしれないし、私自身かもしれない。何かを喪失する予感はほとんど確信だった。でもそれが何か分からなかった。分からないまま、28歳になってしまった。

 

28歳になった朝、私は遠い国から日本へと飛ぶ飛行機の中だった。だから、果たして28歳最初の朝はどこだったのか、曖昧なまま28歳になってしまった。観る気もなかった外国の恋愛映画を観て柄にもなく嗚咽していた、きっとあの時間に私の27歳は死んだのだろう。主人が気づかぬくらいに呆気なく。

 

28歳になって少し経ち、果たして私は何を失ったのだろうと考える。28歳になってしばらくしても、やっぱり私は何を失ったのか、分からないままだった。あるいは、最近失うものが多過ぎて、失われたもののどれが特別だったのか、もう分からなくなってしまった、と言ったほうがより真実に近いかもしれない。

 

最近、いろんなものを見失いがちだ。見失ったことに傷ついていたら身がもたないので、いつの間にか、真夜中の対向車のハイビームから視線を少しずらすみたいに、その事実からすら目を逸らしがちだった。そうすると人間はどんどん鈍感になっていくらしい。私って誰だっただろう。何を大切にして、何から何を守ろうとしていたんだろう。それすら最近は漠然としている。そのことは、寂しいと思う。寂しいと思えるうちに、私自身を記録してみようと思い立った。

 

そんなわけで、これから、できるだけ毎日、でも時々さぼりながら、私という人間を掘り起こし、掻き出して、埃を払い、少し並べてみようと思う。目的もゴールもないけれど、28歳が終わる夜、何かが変わっていたら、あるいは何かが生まれていたら、嬉しいと思う。