樗の日々

28歳のわたしを綴る。

占い

 

全然知らない、使う言葉も違うおばさんに、あなたの人生、これから先、少なくとも1人ではない、さびしくないよ、と、言われた。

 

6月の東アジアの小さな島。

直前まで互いの仕事がどうなるか分からなくて、前日に「行ける?」「行けるー」だけで現地集合した友人と2人、梅雨だというから準備したあれこれが馬鹿らしくなるくらいに晴れ渡った週末。

占い屋に行こう、と言ったのは、多分友人だ。他人を油断させがちな外見と雰囲気とは裏腹に、ひどく現実主義な友人は、けれど何故か占いがとても好きだ。比較的真剣に受け取るタイプで、昔占いで言われたことをずっと覚えていたりする。

私も別に嫌いではない。あなたから見た私の未来って、へえ、そんな感じなんだ、と、逆に相手を観察するように楽しみがちな、たぶん、少し嫌な客。けれどそれなりに相手に話を合わせるし、愛想よく笑って言われた通りのお勘定はきちんと払う。いいことは覚えていて、悪いことはすぐに忘れる。当たったことも外れたことも覚えていない、けれどふとしたときに思い出し、酒の肴にしてみたりする。前言撤回、やっぱり、それほど悪くない客だと思う。

 

そんな二人組で訪れた占い屋は有名らしく、占い師はそこそこ日本語が喋れた。

いつも2人で集まるたびに恋愛とか結婚とかそんな話になるくせに随分長い間まともな恋人もいない同士、占う分野を選べると言われて、やっぱり恋愛とか結婚とかそんな分野を選択した。まあね、やっぱり、それなりにね、なんて言いながら、顔を見合わせて笑いあった。そのくせ、一番真剣に聞いたのは、仕事、の話だったりして。

 

いろいろなことを言われた。いつも通り、あんまり細かく覚えていない。

男っぽいとか、仕事に飽きてきてるとか、飲食店やりなさいとか、そんな話をされた。今思い出して自分で自分にびっくりするが、あんまり細かく覚えていない、どころか、恋愛や結婚のことをなんと言われたか、さっぱり覚えていない。やはりあんまり良い客ではないかもしれない。

あんた、商売うまいよ、とにかく商売で金稼ぐよ、バーテンダーやろう、バーテンダーがいい、と、何故かひたすら熱弁された後、ふと、

まあでもあんた、1人じゃないよ。

と、占い師は言ったのだ。

 

 

将来的に、独立しても、なにをしても、あんた、少なくとも、1人じゃない。

だから、人生、さびしくないよ。

 

 

見ず知らずのおばさんに、片言の日本語で、そうやって言われた言葉に心の底から安堵した。

 

1人じゃない。

 

なんて良い言葉だろう。その言葉を、他の人に言ってもらえるって、なんて幸運なことなんだろう。

 

 

帰り道、2人で週末バーでも開こうか、と友人と笑いあった。

平日はフリーランスで仕事をしている友人のアトリエとして、休日は私が選んだ酒を置いたバーとして。インテリアは友人が担当し、酒と経営は私が担当。互いにいつ使っても良い秘密基地みたいな小さな家を、ひとつ借りて、さ。

 

こどもみたいに無邪気な話をしながら、ごった返した東アジアの商店街を歩いた。

 

たぶん、1人じゃないって、こういうことだ。

 

そんなことを思った。